中間子着想4日間、湯川博士の日記に(asahi.com)

日本人初のノーベル物理学賞受賞につながった研究は、当時27歳だった湯川秀樹博士が4日間で集中的に練り上げたらしいことが、自宅に残る日記からわかった。博士が存在を予言し、後に「中間子」と呼ばれる粒子は、「●」(ガンマダッシュ)という奇妙な言葉で記されていた。

比較にならないけど、29歳のとき4日間で『LYNX』を書いた。何事も一気にやった方がいい。

■1934(昭和9)年10月の日記(抜粋)
8日 高秋(9月29日に生まれた次男)出生届を出す
9日 六時半起床
 浅田さんのコロキウム(研究室内での研究報告や討論会)、東出さん七時頃になる。
 ●rayについて考える。
10日 六時半起床
 ●rayの考えを坂田君に話す
 午後四時半頃から堂島空地で野球練習。
11日 六時半起床登校。午後演習、談話会、池原、山口。
 ●rayの話 菊池さん等と話し合う。
12日 昨夕食、阪急食堂で支那そばを食べた所、生やけでかたく、夜から腹痛む。朝下痢する。
 行きがけに、阪急で春ちゃんの運動靴買う。
 登校、相変わらず●rayのことを坂田君と議論する
13日 今日は腹具合大体よい
 昼前講義 午後コロキウム
 その後で野球猛練習
14〜15日 〈理学部内対抗野球大会〉
《注》坂田君=坂田昌一助手。のちの名古屋大教授▽菊池さん=菊池正士教授。阪大原子核研究グループの中心▽春ちゃん=1歳6カ月の長男春洋(はるみ)さん
 (仮名と漢字は現代の表記)
※●は「γ(ガンマ)」に「´(ダッシュ)」

草野球やりながら考えたのか。草サッカーやりながら考えるのは、やっぱりありなんだ。