サロメ

close。ご来場くださったみなさん、本当にありがとうございました。とても楽しくやれました。シリーズと銘打たれていたので、次があることを信じております。

「リーディング・セッション」
僕は今回のようなリーディングをセッションだと考えている。
必要最小限のルールを決めて、あとは各俳優が身につけたセリフ術、即興力を駆使して、ひたすら共演者、演奏者と"音"のやりとりをする。それは、音楽ライブであり、スポーツに近いとも言える。具体的には、リズム、テンポ、タイミングを特に重要視する。ときには、共演者に煽られて限界を超えたスピードで読まなければならなくなったり、極端に大声になったり、ウィスパーになったり、奇声を発したり……リアルな演技プランでは絶対に出てこないような、デフォルメされた表現が必要になる。身体での表現を極力抑えられているので、声による表現が過剰になるのだ。この過剰さがリーディング・セッションの醍醐味である。また、かなり即興性が強いので、パフォーマンスにはとても1回性が強くなる。そこもまた魅力である。
各俳優には、ボーカリストというよりは、"楽器"になることを目指していただいている。セリフに意味を付加することよりも、いろいろなニュアンスを出すことを先行させるのだ。そして、マイクの使用によって、それをさらに拡大し、劇場を"音"で支配するのである。
僕と横川理彦(音楽&コンピュータ)は、十年以上にわたって、いろいろなところでこっそり、こういう試みを続けてきた。これが実に楽しく、しかも想像力を刺激してくれる。
発信者がどんなにセリフを音にしようとして意味を排除したとしても、受け手は必ずそこに意味を見出してしまう。そして、そこに見出された意味には、必ず自分の深いところに繋がる何かがある。それがテキストに対する新たな解釈に繋がり、古い戯曲であってもとても新鮮に蘇ってくるのだ。
今回取り上げた「サロメ」は、僕が大学で演劇を始めたばかりのときに出会った戯曲で、これまで上演する機会はなかったが、ワークショップなどで何度も取り上げてきた。「動物園物語」「欲望という名の電車」と並んで、相当読み込んだ作品である。それが、今回のリーディング・セッションで、どんな発見をもたらしてくれるか?今回は僕も舞台上にいるのだが、聴覚を研ぎ澄まして、聴こうと思っている。(当日配布したチラシに掲載したコメント)