ファントム@青山劇場

suzukatz2008-02-22

close。稽古開始から約3カ月。「ファントム」終了でごいざいます。今回も大勢のご来場、誠にありがとうございました。個人的には最大規模の公演でした。パンフレットに載せたテキストをアップします。

「ファントムを生みだしたのは誰?」

幽霊はいると思うか?と問われれば、僕は"いると思う"と答える。
ではどこに?
幽霊を見るそれぞれの人間の頭の中にいるのだと思う。
だから、幽霊は見る人によって姿を変える、はずである。
ところが、オペラ座のファントムは人間だから、自分で仮面を付け替えたり、衣裳を着替えたりしなくてはならない。
しかも、迷路のようなオペラ座の地下通路、換気口、ロープなどを渡り歩いて、人目につかないように神出鬼没に行動しなくてはならない。

いやいや、幽霊はどれも同じような姿形だし、お化け屋敷や心霊スポットというような特定の場所に現れるではないか、という反論もあろう。
だが、そういう幽霊は、人々の中にすでに定着した幽霊についてである。
言ってみれば、情報の共有の問題である。
UFOが世界各国、どこでも同じような形態で出現するのと似ている。
先入観が、ある自然現象に特定の意味合いを付加し、幽霊やUFOに見えるのではないか?
だから、幽霊もUFOも一括りにオカルトの範疇に入れられる。
専門的、学術的にきちんと研究している学者ではない、我々一般人にとって、幽霊もUFOも宇宙人も基本的には同じようなものでしかない。

超常現象は、基本的に理解できない現象である。
理解不能な現象は、それに遭遇した人々を不安にする。
だから、何とかその現象を理解可能なものにしようとする。
幽霊やUFOは、突き詰めれば理解不能なものだが、理解不能な現象という他者との共通理解を得ることができるので、個人的な不安はいくらか解消できる。
一方、超常現象に遭遇して心休まる場合もある。
そういうときは、それを神の御業と考えたり、妖精の悪戯と思ったりするのである。
ここに、クリスティーンがカルロッタの犠牲となるときに用意されていた役が、妖精の女王タイターニアであったことに必然性がある。
クリスティーンは、ファントムが「きみはここ(ファントムの領域)の人だ」というように、ある種人間離れした存在でなければいけないのだから。

ファントムが住むオペラ座の地下は、パリ・コミューン時代、時の政府に反対する人間が拷問にかけられ、大勢の人がここで命を絶たれた場所と設定されている。
拷問部屋のほかに、地下墓地が延々と続く、まさに闇の世界。
繁栄するパリの人々の、不安や罪の意識を閉じ込めた世界なのである。
だからこそ、そこから響き渡る幼児ファントムの泣き声を聞いて、悪魔の声と思ったりしたのである。

人間は、どんなに聖人君子であっても罪の意識がある。
負い目を感じている。
どんな精神力の強い人間であっても、心の弱い部分がある。
それを解消しようとして、人間は寄り集まり、自分だけではないことに安心する。
しかし、ときには個人では解消できない社会性を持った不安が出現する。
繁栄している社会にいても、人々はいつまでもこの繁栄は続かないのでは、と心の奥底で感じているからである。
そして、それは歴史や科学が証明しているし、本能的にもそれを知っているのだ。
そういうとき人間は、ターゲットを探し、それを集団で攻撃することによって、自分を守ろうとする。
それが、いじめであり、侵略であり、人間エリックをファントムに仕立て上げた一番の要因なのだ。

ファントムを追いつめようとする人々のシーンを読んでいて、猛烈に魔女刈りのイメージと重なり合った。
オペラ座の出演者であったり、スタッフであったり、観客であったりする彼らは、パリの街を行き交うごく普通の一般人でもある。
彼らは、何かに怯えている。
罪の意識がある。
漠然とした不安を感じている。
そして、攻撃できるターゲットを探している。

我々の心の弱さ、闇の部分が、オペラ座のファントムを生みだしたのである。
そして、現代社会においても、ファントムは生み出され続けている。
それを食い止めるのは、光溢れる愛の力でしかないのだ。

鈴木勝秀(suzukatz.)