Duet@シアタークリエ

suzukatz2008-07-27

closed。ご来場下さったみなさま、本当にありがとうございました。パンフレットに掲載したテキストをアップしておきます。

「僕が毎回上演台本を作るわけ」

翻訳劇は、まず上演台本作りから始まる。
正確な翻訳台本に忠実にやればいいだろう、とお考えになる方が多いかと思うが、僕はそう考えない。
言語が違うということは、ときには正確な翻訳ゆえに意味がわからなかったり、リアリティが消えたりすることがあるのだ。
その代表的なものは、呼びかけである。
おたがいの名前、「ヴァーノン」「ソニア」の呼びかけが、英文では驚くほど多い。
だが、日本には呼びかけの習慣はほとんどない。
だから、呼び掛けられるたびにこそばゆく感じ、本質を見てもらえなかったりする。
翻訳劇アレルギーは、こんなところからも始まる。
そして、英語圏では子供でもわかることでも、日本人には理解できないことも多い。
宗教、人種、時代背景、生活習慣、価値観、地名人名などの固有名詞、ギャグ、ジョーク(笑いは特に厄介)など、それは多岐にわたる。
演劇作品が異文化紹介であるなら、それはそのままでいい。
だが、その戯曲の持っている作品性をきちんと描き、日本人にその本質を伝えるためには、多少のアダプテーションは必要になる。
理解できないことはストレスとなり、楽しみを著しく阻害するからだ。

さらに、作品が今回のようにミュージカルの場合、訳詞はオリジナルの歌詞の三分の一程度の情報しか伝えることが出来ない。
英語で"LOVE"は一音でも、日本語にすると"愛"と二音になってしまうからだ。
だからといって、メロディを変更することはできない。
それを訳詞の工夫以外でも、何かで補わなくてはならない。
また、これは翻訳劇に限ったことではないが、上演される劇場によっても、できることとできないことがある。
今回、舞台美術が巨大なピアノ一台しかないのも、原作とはまったく違う。
原作では、各シーンに必要なだけのセットが用意される前提で書かれている。
だが、このクリエの舞台で、それは再現できない。
つまり、上演台本を作ることが、演出家の作品理解と方向性の提示になる。

ニール・サイモンの戯曲の面白さは、突き詰めれば、ネイティヴ・ニューヨーカーにしかわからないのかもしれない。
だが、それでもキャスト・スタッフが頭と体をフル回転させて、エンタテイメントしようとする。
そして、そこにこそ翻訳劇最大の面白さがあると、僕は考えている。
今回の稽古場では、全員が作品を面白がり、次々とアイデアが生まれている。
毎日稽古が楽しくて、僕は集合時間の1時間前には稽古場に行って、ワクワクしている。

本日はご来場誠にありがとうございます。
どうぞ、ごゆっくりお楽しみ下さい。

鈴木勝秀(suzukatz.)