フロスト/ニクソン@仙台・イズミティ21

suzukatz2009-12-18

14:00
全公演終了。ご来場いただいたみなさま、本当にありがとうございました。いつものように、パンフレットに掲載したテキストをアップしておきます。

「ドキュメンタリーとしての演劇」
あれほど弁論術の天才と言われたニクソンが、なぜ"トークショー司会者"のフロスト相手に失言したのだろうか?そして、涙さえ浮かべて、ウォーターゲート事件に深く関わっていたことを、国民に謝罪する心境にまでなったのか?
フロスト「彼はやってほしいんだ。オレに片をつけてほしいんだよ……リチャード・ニクソンは荒野を望んでいる」
それはそうだったのかもしれないが、どうしてその相手がフロストなんだ?「デビッド・フロストは、誰よりもテレビを理解していた」とジム・レストンはその理由を分析するが、ニクソンがテレビを理解していなかったとは到底思えない。それにこの日まで、いったいニクソンはどれだけカメラの前に立ったことだろう。まちがいなくフロスト以上に、ニクソンはテレビを理解していたはずなのだ。だが現実には、ニクソンはフロストのインタビュー番組で国民に謝罪をした。いったいなぜ?
僕がこの芝居の上演に心惹かれたのは、まさにこの"なぜ?"にあった。
当時、ある意味で世界の王者でもあった、元アメリカ合衆国大統領という超人が、負けるはずのない試合に臨み、強烈なカウンターを浴びて壮絶なKO負けを喫する。人間としての弱さをさらけ出してしまう瞬間……僕は今回の作品で、是非ともそれが見たかった。
だから、できるだけドキュメンタリーのように、その場に立ち会っているように作ろうと思った。とは言うものの、ご覧のように演技の助けとなるリアルなセットはほとんどないし、小道具も必要最低限しかない。さらに俳優のみなさんには、説明的な台詞の言い方、体の動きを排し、ひたすら内面と向き合っていただいた。そのせいで、みなさん肉体的疲労より精神的な疲労があるそうだ。脳が疲れると。毎日が極限状態の再現なのだから、当然だとは言えるが、拷問のような稽古だったかもしれない。だからこそ、到達できたリアリティがこの芝居にはある。演劇の虚構性は、ときに現実よりもリアルな心の動きを舞台上に展開する。
結果はご覧の通りである。北大路欣也ニクソンは、仲村トオル=フロストと言語によるそれは壮絶な打ち合いを演じ、敗者ニクソンを具現化する。そのとき見えたものは……誤解を恐れずに言えば、僕には"愛"のような気がした。
本日はご来場誠にありがとうございました。どうぞ、歴史的瞬間をじっくりとご体験ください。
鈴木勝秀(suzukatz.)