2009

●『冬の絵空』上演台本・演出
昨年のサンケイホールから引き続き1月に東京公演。初世田谷PT。厳密には2009年の仕事ではないが、一応1月の公演ではあるので。ラスト、満開の桜が実は凍りついた桜であったという表現は、照明大御所が「ピンクとブルーのどっちがいい?」とおっしゃるので、「両方」と言ってできたもの。
●『MISSING BOYs』脚本・演出
4〜5月。他ジャンルの方々と多くの出会いあり。振付女帝と久しぶりの共同作業。ダンス公演の規模を大きくするための方法ということをかなり考えた。マドンナのDVDなどを見せられ、うらやましく思う。HIP HOPと演劇は、かなり近いところで存在できるような気がする。その辺りを考え始める。
●『SEMINAR(セミナー)』上演台本・演出
外国人作家(リー・カルチェイム)の新作初演。カルチェイムとの仕事は『Defiled』以来。メールと国際電話で脚本打ち合わせ。日本語と英語の違い、日本とアメリカの常識の違い──そういったことをいつも以上に考える。噴水にかける歌う舞台監督の情熱で、とても美しいシーンができた。
●『異人たちとの夏』脚本・演出
映画の舞台化のようで、実は小説の舞台化。原作者の山田太一さんは、劇作に何も口出しせず好きにやらせてくださった。とても感謝している。俳優陣が抜群のチームワークを見せてくれた。稽古が毎日楽しかった。日本の小説をもっと取り上げたいと思う今日このごろ。
●『オペラ・ド・マランドロ』脚本
仕事的には2月に書いた。何年か前に自分で演出するプランがあったのだが、それはあまりに自分よりだという結論に達し、ブラジル版からのアダプテーションに専念する。ところが元本となる訳本が、驚くほどの外国人日本語的直訳で、まずその日本語を理解するのにかなりの時間がかかる。英語版ではなくポルトガル語版を元にしているので、原語版にあたってもラチが開かず。ゆえに、かなり想像力を使って脚本化した。
●『ドリアン・グレイの肖像』構成・演出
小説の舞台化の可能性に希望を見出す。著作権の切れている名作をもう一度読み直して、舞台化できないか検討してみる価値あり。映像魔術師と初仕事。そして、ピアノマスターの音楽の力は凄まじかった。陰影術師(照明)と世界一忙しい舞台美術家の作り出した世界は、世界のどこでもない場所っぽくてよかった。
●『宮城野』演出
『白野』を意識した和物路線。歌う舞台監督の「もっとなんかやらせて!」のお願いが、舞台上に糸を張り巡らすアイデアにつながった。当初、ワイヤレスマイクを使って、いちいちのセリフを加工することを考えたりもしたのだが、あまりにも演出サイドが面白がっているだけになりそうだったので、とても控え目なものになった。いずれ、音楽先生、ノイズマイスターとそういう公演にもトライしようとは思う。
●『翻案劇 サロメ』上演台本・演出
個人的に考える音楽としての演劇。邦楽の面白さに触れ、大いに盛り上がる。しかし、ノイズマイスターなくしては、あの小さな音の邦楽器でグローブ座でグルーヴさせることはできなかった。孤高女形、孤高舞踏家の対決は世界に誇れる日本独自の文化であった。衣裳姉も舞台ならではアイデアを全開にして、見事なヴィジュアルを作り上げてくれた。
●『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』上演台本・演出
個人的に考える演劇としての音楽。個人的にはこの先の先へ突き進むつもりである。これはLIVEなのだ。
●『海とおりょうとピストヲル〜龍馬は水平線の向こうに何を見ていたのか?』演出プラン
イベントの強さ、シロウトの凄さを思い知らされる。一所懸命さは、すべてのことを乗り越えられる。感動が訪れるのは、ストーリーでも演出でも演技力でもないのだ。高校サッカー決勝、いや、高校ラグビーの決勝(この違いわかるだろうか?)を見たときに近いものがある。プロフェッショナルが一番恐れる、一発勝負のリアリティ。舞台に上がるときは集中して、緊張してください。日比野サッカー好き氏と久しぶりに再会。ノリは変わらず。そして、AARDVARK庶務係Bashiに感謝!
●『フロスト/ニクソン』上演台本・演出
ストレートプレイの極限。"喋るプロフェッショナル"である俳優を信じ切るということ。セリフを喋るということの意味を改めて考える。もっと深く考える必要がある。深く考える必要があるのは、やる側ではなくて見る側なのだ。久しぶりにツアー皆勤。