ラッシャー木村死去

68歳。腎不全による誤嚥性肺炎。子供のころから国際プロレスはほとんど見ていなかった。金網デスマッチに対しても見世物的要素を多分に感じていた。個人的には新日ファンであった。だから、国プロ崩壊後、国際軍団が新日に参戦したときも、猪木の戦略にやすやすと乗せられ、木村、浜口、寺西に罵声を浴びせた。のちのマイクパフォーマンス生むことになる、新日初参戦の「こんばんは、ラッシャー木村です」を嘲笑した。第一次UWFにも、木村は元新日本部長新間との義理で参戦しただけなのに、前田の提唱するスタイルについていけないことを罵倒した。全日に移って、馬場と兄弟の契を結び、マイクパフォーマンスだけが見せ場の木村を惨めに感じた。だから、ラッシャー木村アニマル浜口の人間としての凄味、大きさ、哀しさを知ったのはずっとあとになってのことだ。過去のプロレスラーのほとんどは、猪木や馬場のようなスーパースター=社長を盛り上げるために存在していた。それがイヤなら、飛び出して自分が社長になるしかない。大衆芸能ド真ん中なのだ。「仲良くなければ流血試合はできない」プロレスは予定調和であるべきものなのだ。