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義母の命日なので、義母の思い出のある店でランチしてそれからお墓参り。両親ともに健全であるということもあって、自転車でも行ける距離にある先祖代々の墓にはずいぶんと行ってない。たまには掃除ぐらいしに行ったほうがいいかな、と漠然と思う。お墓は悲しい場所であるのはもちろんだが、いいところでもあると感じる。たまには静かな場所で過去を思うことも必要だ。
先日、お寺の経営問題についての番組を見たが、お墓経営も大変なようである。お坊さんにも経営者としての手腕が必要らしい。だが、それは長年にわたって、日本のお寺が宗教的立場をおろそかにしてきたからではないだろうか、と思ったりもする。でも、今からでもお寺が求められるような存在に戻ることはできるようにも感じる。不慣れな経営問題に頭を悩ませるのではなく、金儲けとか経営とかを考えなければいいのだ。この現代社会において、「金儲けをしない」というだけで必ずニーズがある。社会、政治、職場、学校、家庭の問題はよく語られているわけだが、金儲けをしない人としてのお寺が何をできるか、ということが実はもっと表に出てきていいような気もする。