finalvent

中島が縷説するように、あるいは、ダメットだったか、時間というのは、存在しない。未来と過去はない。それがあるのは、大森のいうように語り存在というか、記憶の問題であり、記憶とはつまり「我」の定義だ。「我」は現在の知覚作用のその現前のように思われるが、記憶を抜かれた無名者にとっての、つまり、一般者の知覚というのは、実はない、のか?

個人の記憶と社会の記憶、人類の記憶といったものは、たしかに違うように思える。歴史は、誰かによって書かれた瞬間に客観的なものではなくなる。つまり、客観的記憶というものは存在しない……ってこととは違うか。そういう観点から『tape』は面白くできそうなtextだったなあ。記憶の問題は、『パランティーズ』『ブルー・ノート』とやってみて、結局ほったらかしにしてある。もう少し、突き詰めて考えてもいいかも。