今日の天声人語

三島を取り上げている。高校時代、三島とフランス文学だけを読んでいた。個人の全集を持っているのは、三島だけだ。だが二十代になって、まったく読まなくなった。自分にとってだけの「三島由紀夫」が、自分の中にできてしまった、という感じだったのか?それが、この2〜3年、やけに三島を意識する。自分の中の「三島由紀夫」が、揺らぎ始め、実はかなり自分勝手な虚像であることに気づき出したからだろうか?また、三島が自決した年齢を超えたからだろうか?現在、北九州のホテルで橋本治さんの『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』を読んでいる。また、読み返さないといけない、と切実に感じている。