百瀬博教死去

67歳。早大劇研では、スタッフ力があると思われる男子は、今はなき赤坂ニューラテン・クォーターの照明のバイトに入れられるのが伝統であった。もちろん、私も新人の夏から入れられた。そこで、様々なショーを、毎晩ピンスポットを操作しながら見た。百瀬氏は、そのニューラテン・クォーターの用心棒だった。氏のプロデュースしたショーでは、スタッフ全員に鰻重が振る舞われたりした。ご自分のことを「不良」と呼び、一般的な大学生では、決して見られないような世界を垣間見せてくれた。そして、あっちには行かないようにしよう、と思わせてくれたのだった。