『ライフ・ウイズ・アーセナル LIFE with ARSENAL』vol.2

『ライフ・ウイズアーセナル LIFE with ARSENAL』vol.2

◯Life with Arsenal part 1

ジェイ、おもむろにサブステージに現れる。

ジェイ:
というわけで、前回のJ's Boxで、じんわりとスタートいたしました、スズカツ&ジェイコラボ企画、『Life With Arsenal』別名、ジュンイチ・ストーリー!
お約束通り、今回"続き"をお届けいたします。
ですが、今回が初めて〜!とか、前回、ちょっと泣いちゃった……でも、ストーリーすっかり忘れちゃったの〜、というお客様もいらっしゃると思いますので、ここでかる〜く、かる〜く、おさらいしておきます。
なんか、前回のストーリーを、スズカツさんがご自分のサッカー関連ホームページにアップしてくださっているそうなので──なんで芝居関係のほうじゃないんだ?ま、いいか──、もし読んでみたいな、みたいなかたがいらっしゃいましたら、ぜひ、ご自分でグーグル検索を駆使して、探しだしてみてください。
ちなみに、「鈴木勝秀」「suzukatz.」「ライフ・ウイズアーセナル」「AARDVARK15」、あ、これスズカツさんのサッカーチームの名前ですが、こんなのでひっかかるそうです。
では、前回のあらすじ!

ジェイからジュンイチへ。

ジュンイチ:
僕は、オオノ・ジェイムズ・スミス・ジュンイチ。
ややこしい名前だと思われるだろうが、父親はイギリス人で母親は日本人。
両親がそれぞれに名前をつけたので、一人で二人分の名前を持つことになった。
母の強い意向で、日本語と英語の両方を教え込まれたおかげで、妹とともに、見事にバイリンガルとして成長した。
生まれはロンドン、誕生日は1960年5月16日。
現在は、ロンドンに本社のある、外資系貿易会社に勤務している。
担当地域は、もちろん日本をはじめとする極東地域。
国籍は日本。
僕が8歳のとき、両親は離婚した。
国際結婚による、複雑な問題がそこにはあったと思われるが、簡単に言えば、父が母とは別の女性と出逢い、家を出たのだ。
で、週末ごとに、僕は父との親子デートに付き合わされていたんだけど、ある日、父がハイバリーアーセナル vs ストークの試合に連れて行ってくれた。
そこで僕はアーセナルと恋に落ちちゃったってわけ。
ところが、恋には必ず邪魔者がつきまとうもの。
僕とアーセナルの恋も例外じゃなかった。
母が、僕と妹を連れて、日本へ帰ることになったんだ。
イギリス人はとてもポライトな人たちだと思うけど、同時に物事をはっきり区別できる国民でもあり、それが外国人には差別と感じられてしまうのだ。
いずれにしろ、母は働かなければならなかったし、実家のある日本で暮らしたほうがいいと判断。
父もそれを阻むことはできなかった。
もちろん、僕と妹も従わないわけには行かない。
父が去った今、母を守るのは自分の役目である、くらいの決意は僕にもあったのだ。
どんな場合でも、男の子は母親に涙など流させちゃいけない……
というわけで、僕は日本へ降り立った……今回はそこからスタート!なんですが、それはまたのちほど!

◯Life with Arsenal part 2

<M1>:opening theme

ジュンイチ:
9歳、小学校5年の春。
僕は母と妹ともに、日本で暮らすことになった。
住むことになったのは、母の実家、つまり、おじいちゃんとおばあちゃんの家。
そのころおじいちゃんは、まだまだ現役バリバリの銀行員で、タバコはバンバン吸うけど、酒は一滴もやらないという堅物だった。
おばあちゃんは専業主婦で、どんなことにも興味を示す、バイタリティ溢れる女性。どんなことになっても生きていけるような強い人……母は、性格的にはおばあちゃんのほうを受け継いだのだろう。
おじいちゃんと母は働きに出ていたから、僕たちはおばあちゃんと過ごすことが多かった。だから、おばあちゃんは、僕たちの世界にも入り込んできて、あっという間に馴染んでしまった。僕と妹が、大人の使う日本語をすぐに覚えられたのも、おばあちゃんのおかげ。おばあちゃんは、僕たちを子供扱いせず、友だちみたいな感じで最初から接してくれたんだ。だから、おばあちゃんもテレビの子供向け番組やアニメを一緒に見て、面白がっていた。妹と一緒に『黒ネコのタンゴ』を歌った……

ジュンイチ&REN、『黒ネコのタンゴ』の一節を歌う。
「♫黒ネコのタンゴ、タンゴ、タンゴ、ネコの目のようにきまぐれよ!ラ・ラ・ララララ、ラ〜ラ!」

ジュンイチ:
(RENに)サンキュー……で、僕といっしょに『あしたのジョー』を見て燃えていた。

ジュンイチ&REN、『あしたのジョー』の一節を歌う。
「♫オイラにゃ〜、ケモノのの〜、血が〜騒ぐ〜!だけど……」

ジュンイチ:
だけど、僕を一番熱くさせたアニメ番組は、なんと言っても、サッカーアニメ『赤き血のイレブン』!

『赤き血のイレブン』のオープニング映像が映し出される。
http://www.dailymotion.com/video/x9567p_yy-yyy-yyyyyyyy-anime-old-jp-tv-op_shortfilms

ジュンイチ:
『赤き血のイレブン』に影響されて、僕もむしょうにボールを蹴りたくなった。
でも、サッカーはひとりではできないから、まず学校に入らなければならない。なぜって、そのへんの広場でボール蹴っているやつらがいても、どこの学校に行ってるかがわからないと、混ぜてもらえない。
「へんなの」
僕はそう思ったけど、それが現実だった。日本では、学校に行かなければ友だちもできない。
僕にとってのアーセナルのようなクラブは存在しなかったし、今と違って少年サッカーチームなんてほとんどなかった。
だから、友だちを作るのも、サッカーをやるのも、学校のサッカー部に入るしかなかったのだ。

「Mom, I wanna go to school and play soccer」
「なに?」
「I wanna go to school !」
「何言ってるか、わからないわ、ジュン」
「......僕、学校行きたい」
「そう、学校に行ったら英語はダメ……でも、ママも学校のことは考えてたところ」

さっそく地元の小学校への編入手続きが取られた。
公立の普通の小学校。

「ジュンイチには、すでにヨーロッパ的個人主義の匂いがある。団体行動が基本の日本の学校に入れたら、つらいんじゃないのか?」
おじいちゃんが懸念を口にした。
「これからジュンは日本人として生きていくんだから、隔離したくない」
「でも、せっかく身につけた英語も忘れてしまうだろ。それはもったいない気もするけどな」
「今ジュンに必要なのは、英語じゃなくて日本人になること......英語は、なんとでもなるわ」

僕はバイリンガルで育ったので、日本の小学校に編入しても、言葉の問題はなかった。
日本に来るちょっと前から、母にかなり漢字の読み書きを習っていたので、教科書もそれほど問題なく読めた。
体育や音楽は大得意だったので、すぐに注目を浴びた。
それに、背も小さかったし、外人顔とはいうものの、自分で言うのはなんだけど、愛嬌がある子供だったので、特別に差別されたりすることはなかった......ただ、おじいちゃんの懸念どおり、問題はすぐに起きた。

<M2>anxiety

ジュンイチ:
まずは、朝礼。そんなことなんかやったことないから、グラウンドに立たされて、校長先生の話とか聞くのがわけわからない。いきなり『前へならえ!』とか言われてもチンプンカンプン。さらには「小さく前へならえ!」って……ここは軍隊?かと思った。
それと驚いたのは、授業中にわからないことがあっても質問しちゃいけないことだ。「何か質問は?」って先生は言うのに、実際に質問すると、「何を聞いてたの、オオノくん?」とか言われるんだ。だから、クラスの半分くらいのやつが、わかってもいないのに「わかりましたね?」と言われると、反射的に「は〜い!」ってみんな手を挙げる。でも、じゃあ「これはどういうことかな?」と質問されると半分は答えられない。すると、手を挙げてたクセに指されたやつは、「え〜と、忘れました!」と答える。で、先生も含めてクラス全体が大笑い……どうなってるんだ?
そして、給食……あれは拷問だと思う。だって、食べたくないものを無理矢理食べさせようとするんだから。しかも、残さず食べないと、昼休みも与えられない。食べるまで、先生の手下のような給食委員が見張っているんだ。ここは軍隊じゃなくて、刑務所なんだと思った。
イギリス人は味覚がないとか、イギリスにはまずいものしかないとか日本人は言うけど、あの給食で育った人間にそんなこと言う資格はないと今でも思う。イングリッシュ・ブレックファストは本当に美味しいと思うし、あの給食を無理矢理食べさせられるんだったら、フィッシュ&チップスを食べ続けるほうがよっぽどマシだと思う。
とにかく僕は、あの脱脂粉乳を溶かしたお湯が、どうしても飲めなかった。

「鼻つまんで一気に飲んじゃえ」
給食委員が言う。
「No way……」
「え?」
「あ……ムリだよ。飲めない」
「飲めるって。みんな飲んでるんだから」
「みんなが飲んでても、僕は飲めない……」
「イギリス人だから?」
「関係ない。それに僕は日本人だ」
「ハーフだろ」

僕は、そいつの顔にいきなり脱脂粉乳をぶっかけた。
教室内は騒然とした。
すぐに何人かが止めに入り、女子が先生を呼びに行った。
僕と給食委員は、騒ぎを聞いてやってきた先生に、職員室へ連れて行かれた。
そいつは、エザキという名前だったことをそこで知った。
叱られたのは僕のほうだったが、悔しかったのはエザキのほうだった。
昼休み終了のチャイムが鳴って、僕とエザキは無理矢理握手させられた。

「教室へ戻りなさい」

僕とエザキは、一緒に教室へ戻った。

<M3>決闘の歌
♫放課後に 決闘だ
体育館とプールの間
芝生のとこだ
逃げるなよ 必ず来いよ
放課後に 決闘だ

今でも子供たちが"決闘"をしてるのかは知らないが、僕が子供のころは、結構決闘していた記憶がある。
必ず、本当にケンカが強いと思われているやつが、見届け人みたいなことをして、勝敗を裁くのである。
ハットリくん──ハットさんと呼ばれていた同級生が、見届け人としてついて来た。
僕は最初、ハットさんはエザキの味方をするんじゃないか、と疑っていたが、そこは驚くほど公明正大で、本当に何の手出しもせず、しかも「パンチやキック、噛み付きはダメ」とかいろいろと決闘のルールを教えてくれた。
それは、オリンピックのレスリングのような戦い方だった。

「じゃあ、やんな」

ハットさんの合図で、僕とエザキの決闘は始まった。

<M4>fighting

エザキのほうが体は大きかったが、僕はスピードと低いタックルでエザキの下半身を攻め、一気に押し倒し、そのまま馬乗りになって、両足でエザキの両腕を押さえつけてグリグリとしごいてやった。
時間にして、ほんの三十秒くらい。たいていのケンカは、1分もかからずに終わる。子供のころは押し倒したら勝ち。もう少し大人になったら、パンチかキックを入れたら勝ち。格闘技をやってる人以外は、は基本的に3分も戦い続けることはできないのだ。
すぐにハットさんが止めに入った。

「もういい、やめろ……オオノの勝ちだ」

僕は、エザキから離れた。

「いいか、もう恨みっこなしだ」

ハットさんは、そのころ流行っていた、心の清らかな不良少年が主人公の学園マンガの愛読者で、ああいうときどういうセリフを言えばいいかを熟知していた。
僕たちは、ハットさんに従って、改めて握手を交わした。

「これからは、おまえたちは親友だ。へへっ」

<M5>hand in hand
♫And the two boys smiled with hand in hand
They became the best buddies.

学園マンガでは、決闘した同志は、必ず親友になるのだ。
そこで、僕とエザキは親友になることになった。
そしてわかったのは、エザキも僕と同じジュンイチという名前であることだった。
急に親しみを感じた。

次の日から、エザキは僕の分の脱脂粉乳を飲んでくれた。かわりに僕は、エザキの苦手なトマトとチーズを食べてあげた。誰にでも好き嫌いはあるのだ。健康のためになんでも残さず食べなきゃいけない、っていうのは、絶対おかしい。僕が思うに、そこにはまだ大人たちの中に、日本は敗戦国であるという感覚が、無意識の中に残っていたからだと思う。

「へえ、ジュンくん、イギリスでサッカーやってったんだ」
「イギリスはサッカーの母国なんだ。大人も子供もみんなサッカーやってる」
「野球は?」
「野球は知らない。アメリカでやってるのは知ってるけど……クリケットに似てるんだよね」
クリケット?」
「知らないんだ」
「知らない」

というわけで、僕はエザキの誘いで、サッカー仲間に入れてもらった。
でも、ある程度人数が集まると、ボール蹴りはすぐに野球に変更になった。
サッカーの下手さからは考えられないほど、みんな野球はうまかった。
子供の社会でも、『赤き血のイレブン』ではなくて、主流は『巨人の星』であったのだ。

<M6>変調巨人の星

僕にとって、野球はほとんど休んでいるようなスポーツで、退屈だった。
ピッチャーなんかやらせてもらえるわけもなく、たいてい外野でぼや〜っとしていた。
打席もそれほど回ってこないし、ほとんど見てるだけの特殊なスポーツ。
どうして、日本人はこんなにも野球が好きなんだろう?
一球一球、監督からサインが出て、打ちたいのに送りバントしろとか、勝負したいのに敬遠しろとか……選手は監督の命令に従うのがいい選手。
もちろん子供の遊びだから、みんな好き勝手にやってるだけだったけど、少年野球のチームに入ってる同級生の試合を見に行ったら、監督という名のそのへんのおじさんが怒鳴ってるばかりで、全然楽しそうじゃなかった。
しだいに僕はボール蹴りや野球から離れていった。

ところが、そんなある日、ロンドンの父から小包が届いた──開けてみると、アーセナルのユニフォームとサッカーボールが詰まっていた。そして、サッカー雑誌と選手のステッカーを貼っていくアルバム、『サッカー・スターズ』。さらに、ステッカーの詰め合わせ袋も入っていた。
「ママを大切にして、いい子にしてたら、もっと選手のステッカーを送ってやるよ」
父のメッセージが添えられていた。
そのころのアーセナルはロンドンのチームの中でも最低の時期で、スター選手なんかいなかった。QPRにはロドニー・マーシュがいたし、チェルシーにはピーター・オズグッド、トテナムにはグリーヴズ、ウエストハムにはワールドカップ──そう、このころ日本ではワールドカップすら話題にされない時期だった──で、ウエストハムには、あの1966年イングランドが優勝したワールドカップの三人のヒーロー、ハースト、ムーア、ピーターズがいた!なのにアーセナルで一番有名だったのは、多分イアン・ムーア……それも恐ろしく役に立たないという意味で。それでも、僕は袋の中からアーセナルの選手を懸命に探して、『サッカー・スターズ』に貼り付けていった。

(スタジアムの歓声)

♫「I love my team The Arsenal, I love my team so much
I love my team The Arsenal, I can die for Arsenal」

(歓声が消える)

僕の中で、アーセナル愛の炎がふたたび燃え上がり始めた。
そして、さらにそれに油を、いやハイオクガソリンを注ぎこむように、こいつが始まった〜!そう、「三菱ダイヤモンドサッカー」!!!

<三菱ダイヤモンドサッカーのテーマ>
http://www.youtube.com/watch?v=iOa9VauXWuk

(ジュンイチ、リフティングをする。)

一人でもいい、アーセナルのサポーターを続けよう。だって、僕はアーセナルと恋に落ちたんだから……小学生の僕はそう心に誓った。

(ダイヤモンドサッカーのテーマが消え、ピアノのイントロが聞こえてくる)

<M7>


続きは、またいずれ。