SERIE A:Inter vs Torino (130128)

2-2 [1-1, 1-1 ] Chivu(FK)、Cambiasso / メッジョリーニ、メッジョリーニ
・4-4-2
・5分にキヴ、FKを壁越しにゴール左隅へ。
・キヴ、28分にペレイラと交代。
・キヴがピッチから出て10人になっている間に、キヴの代わりにCBのポジションに入っていたグアリンのミスから失点。
ハンダノビッチのフィードにも問題あり。
・2失点目は、CBコンビのマーク受け渡しミス。という前に、スピードで負けたペレイラに問題あり。
・ムディンガイも後半すぐに負傷退場。カンビアッソ投入。
カンビアッソのゴールは、サネッティからのクロス。
・テクニックとフィジカル、どちらも重要なのだが、このクラスまでこれる選手であれば、さらに求められるのはフィジカル。
・74分にカッサーノお疲れ、リッキー投入。しかし、リッキーやらず。
・ドローは痛いが、ラツィオとの差は3。同時にミランが上がってきて、その差も3。

『ライフ・ウイズ・アーセナル LIFE with ARSENAL』vol.2

『ライフ・ウイズアーセナル LIFE with ARSENAL』vol.2

◯Life with Arsenal part 1

ジェイ、おもむろにサブステージに現れる。

ジェイ:
というわけで、前回のJ's Boxで、じんわりとスタートいたしました、スズカツ&ジェイコラボ企画、『Life With Arsenal』別名、ジュンイチ・ストーリー!
お約束通り、今回"続き"をお届けいたします。
ですが、今回が初めて〜!とか、前回、ちょっと泣いちゃった……でも、ストーリーすっかり忘れちゃったの〜、というお客様もいらっしゃると思いますので、ここでかる〜く、かる〜く、おさらいしておきます。
なんか、前回のストーリーを、スズカツさんがご自分のサッカー関連ホームページにアップしてくださっているそうなので──なんで芝居関係のほうじゃないんだ?ま、いいか──、もし読んでみたいな、みたいなかたがいらっしゃいましたら、ぜひ、ご自分でグーグル検索を駆使して、探しだしてみてください。
ちなみに、「鈴木勝秀」「suzukatz.」「ライフ・ウイズアーセナル」「AARDVARK15」、あ、これスズカツさんのサッカーチームの名前ですが、こんなのでひっかかるそうです。
では、前回のあらすじ!

ジェイからジュンイチへ。

ジュンイチ:
僕は、オオノ・ジェイムズ・スミス・ジュンイチ。
ややこしい名前だと思われるだろうが、父親はイギリス人で母親は日本人。
両親がそれぞれに名前をつけたので、一人で二人分の名前を持つことになった。
母の強い意向で、日本語と英語の両方を教え込まれたおかげで、妹とともに、見事にバイリンガルとして成長した。
生まれはロンドン、誕生日は1960年5月16日。
現在は、ロンドンに本社のある、外資系貿易会社に勤務している。
担当地域は、もちろん日本をはじめとする極東地域。
国籍は日本。
僕が8歳のとき、両親は離婚した。
国際結婚による、複雑な問題がそこにはあったと思われるが、簡単に言えば、父が母とは別の女性と出逢い、家を出たのだ。
で、週末ごとに、僕は父との親子デートに付き合わされていたんだけど、ある日、父がハイバリーアーセナル vs ストークの試合に連れて行ってくれた。
そこで僕はアーセナルと恋に落ちちゃったってわけ。
ところが、恋には必ず邪魔者がつきまとうもの。
僕とアーセナルの恋も例外じゃなかった。
母が、僕と妹を連れて、日本へ帰ることになったんだ。
イギリス人はとてもポライトな人たちだと思うけど、同時に物事をはっきり区別できる国民でもあり、それが外国人には差別と感じられてしまうのだ。
いずれにしろ、母は働かなければならなかったし、実家のある日本で暮らしたほうがいいと判断。
父もそれを阻むことはできなかった。
もちろん、僕と妹も従わないわけには行かない。
父が去った今、母を守るのは自分の役目である、くらいの決意は僕にもあったのだ。
どんな場合でも、男の子は母親に涙など流させちゃいけない……
というわけで、僕は日本へ降り立った……今回はそこからスタート!なんですが、それはまたのちほど!

◯Life with Arsenal part 2

<M1>:opening theme

ジュンイチ:
9歳、小学校5年の春。
僕は母と妹ともに、日本で暮らすことになった。
住むことになったのは、母の実家、つまり、おじいちゃんとおばあちゃんの家。
そのころおじいちゃんは、まだまだ現役バリバリの銀行員で、タバコはバンバン吸うけど、酒は一滴もやらないという堅物だった。
おばあちゃんは専業主婦で、どんなことにも興味を示す、バイタリティ溢れる女性。どんなことになっても生きていけるような強い人……母は、性格的にはおばあちゃんのほうを受け継いだのだろう。
おじいちゃんと母は働きに出ていたから、僕たちはおばあちゃんと過ごすことが多かった。だから、おばあちゃんは、僕たちの世界にも入り込んできて、あっという間に馴染んでしまった。僕と妹が、大人の使う日本語をすぐに覚えられたのも、おばあちゃんのおかげ。おばあちゃんは、僕たちを子供扱いせず、友だちみたいな感じで最初から接してくれたんだ。だから、おばあちゃんもテレビの子供向け番組やアニメを一緒に見て、面白がっていた。妹と一緒に『黒ネコのタンゴ』を歌った……

ジュンイチ&REN、『黒ネコのタンゴ』の一節を歌う。
「♫黒ネコのタンゴ、タンゴ、タンゴ、ネコの目のようにきまぐれよ!ラ・ラ・ララララ、ラ〜ラ!」

ジュンイチ:
(RENに)サンキュー……で、僕といっしょに『あしたのジョー』を見て燃えていた。

ジュンイチ&REN、『あしたのジョー』の一節を歌う。
「♫オイラにゃ〜、ケモノのの〜、血が〜騒ぐ〜!だけど……」

ジュンイチ:
だけど、僕を一番熱くさせたアニメ番組は、なんと言っても、サッカーアニメ『赤き血のイレブン』!

『赤き血のイレブン』のオープニング映像が映し出される。
http://www.dailymotion.com/video/x9567p_yy-yyy-yyyyyyyy-anime-old-jp-tv-op_shortfilms

ジュンイチ:
『赤き血のイレブン』に影響されて、僕もむしょうにボールを蹴りたくなった。
でも、サッカーはひとりではできないから、まず学校に入らなければならない。なぜって、そのへんの広場でボール蹴っているやつらがいても、どこの学校に行ってるかがわからないと、混ぜてもらえない。
「へんなの」
僕はそう思ったけど、それが現実だった。日本では、学校に行かなければ友だちもできない。
僕にとってのアーセナルのようなクラブは存在しなかったし、今と違って少年サッカーチームなんてほとんどなかった。
だから、友だちを作るのも、サッカーをやるのも、学校のサッカー部に入るしかなかったのだ。

「Mom, I wanna go to school and play soccer」
「なに?」
「I wanna go to school !」
「何言ってるか、わからないわ、ジュン」
「......僕、学校行きたい」
「そう、学校に行ったら英語はダメ……でも、ママも学校のことは考えてたところ」

さっそく地元の小学校への編入手続きが取られた。
公立の普通の小学校。

「ジュンイチには、すでにヨーロッパ的個人主義の匂いがある。団体行動が基本の日本の学校に入れたら、つらいんじゃないのか?」
おじいちゃんが懸念を口にした。
「これからジュンは日本人として生きていくんだから、隔離したくない」
「でも、せっかく身につけた英語も忘れてしまうだろ。それはもったいない気もするけどな」
「今ジュンに必要なのは、英語じゃなくて日本人になること......英語は、なんとでもなるわ」

僕はバイリンガルで育ったので、日本の小学校に編入しても、言葉の問題はなかった。
日本に来るちょっと前から、母にかなり漢字の読み書きを習っていたので、教科書もそれほど問題なく読めた。
体育や音楽は大得意だったので、すぐに注目を浴びた。
それに、背も小さかったし、外人顔とはいうものの、自分で言うのはなんだけど、愛嬌がある子供だったので、特別に差別されたりすることはなかった......ただ、おじいちゃんの懸念どおり、問題はすぐに起きた。

<M2>anxiety

ジュンイチ:
まずは、朝礼。そんなことなんかやったことないから、グラウンドに立たされて、校長先生の話とか聞くのがわけわからない。いきなり『前へならえ!』とか言われてもチンプンカンプン。さらには「小さく前へならえ!」って……ここは軍隊?かと思った。
それと驚いたのは、授業中にわからないことがあっても質問しちゃいけないことだ。「何か質問は?」って先生は言うのに、実際に質問すると、「何を聞いてたの、オオノくん?」とか言われるんだ。だから、クラスの半分くらいのやつが、わかってもいないのに「わかりましたね?」と言われると、反射的に「は〜い!」ってみんな手を挙げる。でも、じゃあ「これはどういうことかな?」と質問されると半分は答えられない。すると、手を挙げてたクセに指されたやつは、「え〜と、忘れました!」と答える。で、先生も含めてクラス全体が大笑い……どうなってるんだ?
そして、給食……あれは拷問だと思う。だって、食べたくないものを無理矢理食べさせようとするんだから。しかも、残さず食べないと、昼休みも与えられない。食べるまで、先生の手下のような給食委員が見張っているんだ。ここは軍隊じゃなくて、刑務所なんだと思った。
イギリス人は味覚がないとか、イギリスにはまずいものしかないとか日本人は言うけど、あの給食で育った人間にそんなこと言う資格はないと今でも思う。イングリッシュ・ブレックファストは本当に美味しいと思うし、あの給食を無理矢理食べさせられるんだったら、フィッシュ&チップスを食べ続けるほうがよっぽどマシだと思う。
とにかく僕は、あの脱脂粉乳を溶かしたお湯が、どうしても飲めなかった。

「鼻つまんで一気に飲んじゃえ」
給食委員が言う。
「No way……」
「え?」
「あ……ムリだよ。飲めない」
「飲めるって。みんな飲んでるんだから」
「みんなが飲んでても、僕は飲めない……」
「イギリス人だから?」
「関係ない。それに僕は日本人だ」
「ハーフだろ」

僕は、そいつの顔にいきなり脱脂粉乳をぶっかけた。
教室内は騒然とした。
すぐに何人かが止めに入り、女子が先生を呼びに行った。
僕と給食委員は、騒ぎを聞いてやってきた先生に、職員室へ連れて行かれた。
そいつは、エザキという名前だったことをそこで知った。
叱られたのは僕のほうだったが、悔しかったのはエザキのほうだった。
昼休み終了のチャイムが鳴って、僕とエザキは無理矢理握手させられた。

「教室へ戻りなさい」

僕とエザキは、一緒に教室へ戻った。

<M3>決闘の歌
♫放課後に 決闘だ
体育館とプールの間
芝生のとこだ
逃げるなよ 必ず来いよ
放課後に 決闘だ

今でも子供たちが"決闘"をしてるのかは知らないが、僕が子供のころは、結構決闘していた記憶がある。
必ず、本当にケンカが強いと思われているやつが、見届け人みたいなことをして、勝敗を裁くのである。
ハットリくん──ハットさんと呼ばれていた同級生が、見届け人としてついて来た。
僕は最初、ハットさんはエザキの味方をするんじゃないか、と疑っていたが、そこは驚くほど公明正大で、本当に何の手出しもせず、しかも「パンチやキック、噛み付きはダメ」とかいろいろと決闘のルールを教えてくれた。
それは、オリンピックのレスリングのような戦い方だった。

「じゃあ、やんな」

ハットさんの合図で、僕とエザキの決闘は始まった。

<M4>fighting

エザキのほうが体は大きかったが、僕はスピードと低いタックルでエザキの下半身を攻め、一気に押し倒し、そのまま馬乗りになって、両足でエザキの両腕を押さえつけてグリグリとしごいてやった。
時間にして、ほんの三十秒くらい。たいていのケンカは、1分もかからずに終わる。子供のころは押し倒したら勝ち。もう少し大人になったら、パンチかキックを入れたら勝ち。格闘技をやってる人以外は、は基本的に3分も戦い続けることはできないのだ。
すぐにハットさんが止めに入った。

「もういい、やめろ……オオノの勝ちだ」

僕は、エザキから離れた。

「いいか、もう恨みっこなしだ」

ハットさんは、そのころ流行っていた、心の清らかな不良少年が主人公の学園マンガの愛読者で、ああいうときどういうセリフを言えばいいかを熟知していた。
僕たちは、ハットさんに従って、改めて握手を交わした。

「これからは、おまえたちは親友だ。へへっ」

<M5>hand in hand
♫And the two boys smiled with hand in hand
They became the best buddies.

学園マンガでは、決闘した同志は、必ず親友になるのだ。
そこで、僕とエザキは親友になることになった。
そしてわかったのは、エザキも僕と同じジュンイチという名前であることだった。
急に親しみを感じた。

次の日から、エザキは僕の分の脱脂粉乳を飲んでくれた。かわりに僕は、エザキの苦手なトマトとチーズを食べてあげた。誰にでも好き嫌いはあるのだ。健康のためになんでも残さず食べなきゃいけない、っていうのは、絶対おかしい。僕が思うに、そこにはまだ大人たちの中に、日本は敗戦国であるという感覚が、無意識の中に残っていたからだと思う。

「へえ、ジュンくん、イギリスでサッカーやってったんだ」
「イギリスはサッカーの母国なんだ。大人も子供もみんなサッカーやってる」
「野球は?」
「野球は知らない。アメリカでやってるのは知ってるけど……クリケットに似てるんだよね」
クリケット?」
「知らないんだ」
「知らない」

というわけで、僕はエザキの誘いで、サッカー仲間に入れてもらった。
でも、ある程度人数が集まると、ボール蹴りはすぐに野球に変更になった。
サッカーの下手さからは考えられないほど、みんな野球はうまかった。
子供の社会でも、『赤き血のイレブン』ではなくて、主流は『巨人の星』であったのだ。

<M6>変調巨人の星

僕にとって、野球はほとんど休んでいるようなスポーツで、退屈だった。
ピッチャーなんかやらせてもらえるわけもなく、たいてい外野でぼや〜っとしていた。
打席もそれほど回ってこないし、ほとんど見てるだけの特殊なスポーツ。
どうして、日本人はこんなにも野球が好きなんだろう?
一球一球、監督からサインが出て、打ちたいのに送りバントしろとか、勝負したいのに敬遠しろとか……選手は監督の命令に従うのがいい選手。
もちろん子供の遊びだから、みんな好き勝手にやってるだけだったけど、少年野球のチームに入ってる同級生の試合を見に行ったら、監督という名のそのへんのおじさんが怒鳴ってるばかりで、全然楽しそうじゃなかった。
しだいに僕はボール蹴りや野球から離れていった。

ところが、そんなある日、ロンドンの父から小包が届いた──開けてみると、アーセナルのユニフォームとサッカーボールが詰まっていた。そして、サッカー雑誌と選手のステッカーを貼っていくアルバム、『サッカー・スターズ』。さらに、ステッカーの詰め合わせ袋も入っていた。
「ママを大切にして、いい子にしてたら、もっと選手のステッカーを送ってやるよ」
父のメッセージが添えられていた。
そのころのアーセナルはロンドンのチームの中でも最低の時期で、スター選手なんかいなかった。QPRにはロドニー・マーシュがいたし、チェルシーにはピーター・オズグッド、トテナムにはグリーヴズ、ウエストハムにはワールドカップ──そう、このころ日本ではワールドカップすら話題にされない時期だった──で、ウエストハムには、あの1966年イングランドが優勝したワールドカップの三人のヒーロー、ハースト、ムーア、ピーターズがいた!なのにアーセナルで一番有名だったのは、多分イアン・ムーア……それも恐ろしく役に立たないという意味で。それでも、僕は袋の中からアーセナルの選手を懸命に探して、『サッカー・スターズ』に貼り付けていった。

(スタジアムの歓声)

♫「I love my team The Arsenal, I love my team so much
I love my team The Arsenal, I can die for Arsenal」

(歓声が消える)

僕の中で、アーセナル愛の炎がふたたび燃え上がり始めた。
そして、さらにそれに油を、いやハイオクガソリンを注ぎこむように、こいつが始まった〜!そう、「三菱ダイヤモンドサッカー」!!!

<三菱ダイヤモンドサッカーのテーマ>
http://www.youtube.com/watch?v=iOa9VauXWuk

(ジュンイチ、リフティングをする。)

一人でもいい、アーセナルのサポーターを続けよう。だって、僕はアーセナルと恋に落ちたんだから……小学生の僕はそう心に誓った。

(ダイヤモンドサッカーのテーマが消え、ピアノのイントロが聞こえてくる)

<M7>


続きは、またいずれ。

『ライフ・ウイズ・アーセナル LIFE with ARSENAL』vol.1

『ライフ・ウイズアーセナル LIFE with ARSENAL』
(「ぼくのプレミア・ライフ」/ニック・ホーンビィ(森田義信:訳)/新潮文庫 より)

                                                                                                                                                                                                                                                                  • -

 [口上]
これからお届けするのは、僕・川平慈英と演出家・鈴木勝秀、スズカツさんとのコラボレーション企画の第一弾です。

イギリスの作家、ニック・ホーンビィの小説『Fever Pitch』、邦題『ぼくのプレミア・ライフ』にヒントを得て、「オオノ・ジェイムズ・スミス・ジュンイチ」という名の、日本人とイギリス人のハーフで、ロンドン在住のアーセナル・サポーターという架空の男の物語を考えました。

僕とスズカツさんの間では、すでに連続モノとしてのジュンイチの物語、エピソードが構想されています。
今回は、そのはじまりのはじまりです。
さらにジュンイチの物語は、今回のようなリーディング形式だけではなく、一人芝居、複数の登場人物を加えてのストレート・プレイ、さらにそれを発展させてミュージカル!
そんなことができたらいいなあと夢想して、二人でヘラヘラしています。

では、しばしお時間を拝借。
Music!

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<音楽>:「Life With Arsenal」opening theme

僕は、オオノ・ジェイムズ・スミス・ジュンイチ。
ややこしい名前だと思われるだろうが、父親はイギリス人で母親は日本人。
両親がそれぞれに名前をつけたので、一人で二人分の名前を持つことになった。
生まれはロンドン、誕生日は1960年5月16日。
4つ違いの妹がいる。
名前はジル・ジュンコ……両親ともに「J」が好きらしい。
母の強い意向で、日本語と英語の両方を教え込まれたおかげで、兄妹ともに、見事にバイリンガルとして成長した。
母の先見性に感謝──
現在は、ロンドンに本社のある、外資系貿易会社に勤務している。
担当地域は、もちろん日本をはじめとする極東地域。
国籍は日本。
二十歳のとき、大英帝国か日本国、どちらの国民になりたいか決めろ、と言われて、日本を選んだ──と、自己紹介はこれくらいにして、さっそく本題に入るとしよう。

<音楽、終了>

これからお話するのは、僕とイングランド・プレミア・リーグの強豪、アーセナルとの間に芽生えた感情が、どうして40年以上にも及ぶ長期にわたって続いているのか、ということである。
同時に、サッカー・ファンという人種であることについての話でもある。
サッカーを心から愛している人の書いた本なら、これまでに何万冊も出版されていることだろう。
でも、僕が話したいのは、そういうサッカーの歴史や戦術や技術のことじゃない。
サッカーファンの話なんだ。
だからと言って、いわゆるフーリガンと呼ばれる人たちの話でもない。
だって、スタジアムに足を運ぶサッカー・ファンの95%は、これまで誰かを殴ったことさえない人々なんだから。
僕が話したいのは、イングランドならどこにでもいる、普通の、いや、普通よりは少し思い入れの強い、サッカーを見ること、サッカーを考えること、サッカーとともに生きることを選んでしまった人々についてなんだ。

Jリーグができて、代表がワールドカップの常連になり、本選でも予選リーグを突破できるようになって、さらに、この夏、なでしこジャパンが世界一に輝き──おめでとう!なでしこ!──日本にもサッカーという文化がようやく定着してきたように思う。
でも、僕が思うに、まだまだサッカーは日本人のものにはなっていない。
贔屓クラブの試合には欠かさず足を運ぶ熱心なサポーターもいるだろう。
実際にサポーターグループを組織して、旗を振り、ゴール裏からチャントやブーイングする人もいるだろう。
代表の試合があれば、仕事を休んでも、たとえ海外であろうと応援にでかける人もいるだろう。
でも、サッカーとともに生きるというのは、それとはちょっと違う。

僕はどうやってアーセナルとともに生きることになったのか?
それをお話することで、イングランドのサッカー・ファンの生き方を、少しわかってもらえたらと思っている。
これから話すのは、僕の個人的体験だけど、サッカー好きな人なら、思いあたるフシはあるんじゃないかな?
とくに、仕事や授業、ときにはデートの最中でも、ふと気づくと、10年や15年や25年も前の、ゴール右上隅へ飛び込んでいく、大好きなストライカーの左足から放たれたボレーシュートを思い出しちゃうような人なら。
それと「恋に落ちた」ことがある人なら、サッカーのことがわからなくてもピンとくるはずだ。

<音楽>:「Faling Love with Football」part 1
<音楽、BGMへ>

サッカーはもちろん素晴らしいゲームだ。
だが、リーグ戦のほとんどの試合は退屈なゲームで、試合内容、勝敗で心底興奮できるのは、1シーズンにそう何試合もない。
できれば、リバプールマンチェスター・ユナイテッドと当たるビッグマッチだけを選んで見たいと思っている人たちもいることだろう。
でも、スタジアムはどこもたいてい満員になる。
たとえば、こんなデータがある。
まだプレミアリーグへ移行する前の、深刻な観客減少が叫ばれていた1990/91年のシーズンで、ファースト・ディビジョンの最下位だったダービー・カウンティでさえ、ホームゲーム1試合平均、17,000人の観客を動員していたのだ。
まさに奇跡。

つまらない試合を避けながら、1シーズンに何試合もないビッグマッチだけを見て満足している人──代表の試合にしか興味のない人はこういうタイプだな。場合によってはテレビ観戦だけでOKって人もいるかもしれない──そういう人たちと、自分の入れ込んでいるチームの試合は、全試合──スタジアムへ行かれないときはテレビ観戦も含めて──とにかく、全部見なければ気がすまないという人たちとを分けているものは、いったいなんなんだろう?
ホームのファースト・レグを0-5で落としたのに、次の水曜日、わざわざとった休みをつぶして、アウェイのセカンド・レグを見るために、ロンドンからリバプールまで出かけていくのは、なぜなんだろう?
5点差をひっくり返すことなんてできやしないことは、重々承知しているはずなのに。
行っても、落ち込むだけなのに。
そこに秘密がある。

<音楽>:「Faling Love with Football」part 1

僕はサッカーと恋に落ちた、その後の人生で女の人と恋に落ちたのと同じやり方で。
応援とかサポートとかじゃない。
「恋に落ちた」んだ。
突然、説明もできぬまま、判断力を失い、取り憑かれたようになって、胸は痛み、頭は混乱し、ほかのものは何も見えなくなる。
まさにそんな感じ。
そして、それが40年以上も続いている──
そこまで一人の女性に情熱を燃やし続けることができるか、と言われれば、正直「?」であるが、まさに「恋に落ちる」という感覚が相応しい。

<音楽、終了>

1968年。
僕が8歳のとき、両親は離婚した。
国際結婚による、複雑な問題がそこにはあったと思われるが、簡単に言えば、父が母とは別の女性と出逢い、家を出たのだ。
僕は母や妹といっしょに、そのままロンドン郊外の家にとどまった。
現在と違って当時は、両親が離婚するなんていうのは、とても珍しいことだった。
当然、クラスにも僕以外、そんな境遇の子供はいなかった。
学校の先生も、近所の物知りおばさんも、こういう場合、どう対処すべきか、ということを教えてはくれない。
わが家族は、独力でこの問題に向き合わなければならなかった。
そして、それは当然のことながら、僕の家族、それぞれに深い傷を負わせた。
僕はといえば、8歳の子供ながら、得体の知れない怒りが体の中にくすぶっているような感じだった。

すぐに、いくつもの問題が発生した。
たぶん、そのなかで僕に関係があって、最も緊急な問題は、同時に、最も陳腐なものであった。
「週末の午後における父との過ごし方」
父は母との契約で、週末にわが家を訪ねてきて、僕と妹を連れ出すことになっていた。

最初は、父の新居へ行くことが多かった。
父の同棲相手は、僕たちに気に入られようなんて愚かなことは考えずに、必ず家を空けていた。
それは子供ながらに大いにありがたかった。
だが父の家へ連れて行かれても、とくに何かをするわけじゃない。
ジェリービーンズを食べながら、テレビを見るくらい。
共通の話題が何もないのだ。
すぐに空気が凍りつく。

「よし、どこか出かけよう」

とは言うものの、大のオトナが十歳にもならない子供をふたり連れて行けるところなど、たいしてない。
パブでビールでも飲めるようならいくらでも時間は潰せたのに……

「動物園はどうだ?」

で、動物園へでかける。
だが、毎週、動物園へ行ったら、すぐに見るものはなくなる。
まあ、僕か妹が、飽きることなくサル山を見続け、それがもとで将来動物学者になるようなタイプだったらまた話はちがったと思うが、あいにく僕も妹も、サル山のサルと同じくらいじっとしていられない、そこらへんのガキだった。
だから、僕たち三人は、父の車に乗せられ、時間つぶしも兼ねてドライブして、とりあえず隣町や空港のホテルへ行き、夕方の早い時間に、ほかに客もなく寒々としたレストランで食事をするのが常だった。

子供というのは、ディナーの席でオトナにとって楽しいおしゃべりができる人種ではない。
だいいち僕と妹は、普段の食事はテレビを見ながらすることに慣れていたから、ただ黙々とチキンやステーキを食べた。
父はそれを見守るだけ。
こんな親子デートが、いつまでも続くわけがなかったのは、自明の理ってものだ。

<音楽>:「Problems」
<音楽、終了>

そんな状況を打開すべく、父は夏が終わって次のシーズンが始まると、サッカーを見に行かないか、と誘ってくれた。
僕が「イエス」と答えたときは、心から驚いたに違いない。
なぜかと言えば、父が提案したことに、僕はそれまでほとんど「イエス」と答えたことがなかったからだ。

シェイクスピア劇、ラグビークリケットの試合、船旅、シルバーストーン・サーキットロングリートハウスの巨大迷路……だが、僕はそんなところへなどちっとも行きたくなかった。
もちろん、家族を捨てた父に嫌がらせをしようと思ったわけではない。
父とならどこへ行ってもよかった。
ただ、父の提案する場所が、どこも気に入らなかっただけの話だ。
しかし、サッカーはちがった……

僕は、あのころ、サッカーのテレビ観戦に夢中だった。
でも、母とスタジアムへは行かれない。
今とちがって、女子供だけで行かれるような場所ではなかったのだ。
それでも、僕の中のサッカー熱は、テレビ観戦や近所の仲間とボールを蹴るだけではおさまらなくなり始めていた。
スタジアムでサッカーが見たい。
それが僕の一番の望みとなっていたのだ。

<音楽>:「Faling Love with Football」part 2
<音楽、BGMへ>

1966年のイングランドがワールドカップ制覇したときは、まだ6歳だったので、あまりちゃんとした記憶がない。
サッカーを見てもよくわからなかったし、面白いと思えなかったのだろう。
だが、この年、1968年の5月、僕はマンチェスター・ユナイテッドベンフィカのチャンピオンズ・カップ決勝をテレビで観て大興奮し、突然、サッカー熱が最高点に達した。
それから下がったことはないのだけれど…
とにかく、イングランドのクラブが初めてヨーロッパ・チャンピオンになったのだ。
しかも、ユナイテッドには、5人目のビートルズと呼ばれた、スーパースターでスーパーアイドルのジョージ・ベストがいたのである。
オトナから子供まで、ユナイテッド・フィーバーで盛り上がっていた。
自分でも驚くほどの変化だった。
それまではどちらかというとインドア派で、スポーツよりは映画や音楽が好きな子供だったのだ。
映画俳優か歌手になりたいと思っていた。
それが、8月の終わりには、現在のクラブ・ワールドカップインターコンチネンタル・カップでのユナイテッドとアルゼンチンのエストゥディアンテスの試合結果が知りたくて、朝早くから起き出すようになっていた。

すっかりにわかユナイテッド・ファンになった僕だったが、そんなユナイテッドへの愛情も3週間しか続かなかった。
インターコンチネンタル・カップを取れなかったからじゃない。
父が連れて行ってくれたのが、ノース・ロンドンのクラブ、アーセナルのホーム、ハイベリーだったからだ。

<音楽、終了>

初めてのハイベリーでの試合のことは、あまりよく覚えていない。
対戦相手はストーク・シティ
記憶のもやの向こうから、かろうじてたった一本のゴールが蘇る。
ストーク・シティのファウルでアーセナルにPKが与えられ、大歓声が起こる。
テリー・ニールがペナルティ・スポットにボールをセットすると、大歓声は急激に静まり返る。
不気味な静寂がスタジアムを包み込む。
ニールのキック。
伝説のゴールキーパーゴードン・バンクスがはじき返す。
失望した観衆の低い唸り声がスタジアムに響きわたる。
だが、ラッキーなことにこぼれ球がニールの足下におさまる。
ニールはすかさずシュート。
ゴール!
僕の周りのみんなが立ち上がって叫んだ。

(大観衆、しかもオトナの男たちの絶叫)
(それに引き続き、「アーセナルアーセナルアーセナル」の大合唱)

僕は全身に鳥肌が立ち、立ち上がることも叫ぶこともできず──だいたい何が起こっているのか見ることもできなかったのだ──ただただ得体の知れないオトナたちの叫び声に包まれていた。

(「アーセナルアーセナルアーセナル」の大合唱が消える)

試合内容についての記憶はこれくらいしかないが、僕の頭には、多分もっと意味のある記憶が刻み込まれた。
それはハイベリーを埋め尽くした観客。
すべてを包み込んでいた、あの絶望的なまでの男くささだ。
葉巻やパイプの煙のにおい。
そして汚い言葉、Four Letter Words──これより前にも聞いたことがなかったわけではないが、大のオトナがあんなに大声で、しかも大勢がそこら中で叫ぶのを聞いたのは初めてだった。

覚えているかぎり、僕は試合や選手より観客のほうを見ていた。
満員だったから、おそらく2万人はいたはずだ。
それまでテレビ以外で、そんな数の人間を一度に見たことはなかった。
圧倒された。
凄まじいエネルギーがスタジアムに充満していたのだ。
ある種の感動があった。
チームでもスタジアムでもなく、このハイベリーの住人たちに、僕は魅了されたのである。
そしてとっさに、いつまでもこの中の一人でいたいと願ってしまったのだ。
つまり、アーセナル・ファンになりたいと。

<音楽>:「Faling Love with Football」part 3
<音楽、終了>

今でも僕を惹きつけてはなさないのは、スタジアムにいた人たちの多くが、そこにいることを本当に、心の底から「憎んでいる」ように見えるということだ。
「楽しんでいる」人など、観光客以外ほとんどいない。
スタジアムへは、だいたいの人が一人一人バラバラにやってくる。
誰かと待ち合わせをして、楽しいサッカー観戦、なんてムードはどこにもない。
個人の責任と選択によって、男たちはスタジアムへ集まってくるのだ。
90年代になれば、グラマースクールの女の子でもスタジアムに来られるようになるが、1960年代のスタジアムに、そんな雰囲気は皆無だった。
男の子を惹きつける「危険」な香りに満ちていた。
多くの人が難しい顔をして、おたがいに喋ったりもしていない。
知らされているのは、キックオフのスケジュールだけ。
男たちは、試合を見届ける以外にムダな時間は使わないので、キックオフの数分前になって、ようやくスタンドは埋まる。
そして──

(試合開始のホイッスル)
<音楽>:「Love & Hate」
<音楽、BGMへ>

キックオフから数分で、スタンドにはもう怒りが充満する。

「恥を知れ、グールド!」
「週に100ポンド?週に100ポンドだ?おまえがオレに払え!バカヤロー!」
「死んでくれ!オマンコ野郎!」
「いつになったら、真っ直ぐボール蹴れるようになるんだ、チンカス!」
「おまえらなんか、メチャクチャにやられちまえばいいんだ!クソっ!」

間違いなく応援ではない。
味方の選手を罵倒し続けているといってもいいくらいなのだ。
さらにゲームが進むと、怒りは激怒の渦に変わり、それからむっつりと押し黙ることで表現される屈折した不満の表現へと移っていく。
重苦しい沈黙が、選手にさらにプレッシャーをかける。

(重苦しい大観衆のため息、嘆き)

これはハイベリーだけが特別なのではない。
僕はこの年、チェルシーにもトテナムにも行ったし、レンジャーズの試合にも行った。
だが、どこでも同じだった。
イングランドのサッカーファンにとって、もっとも自然なのは、スコアがどうであれ、苦々しく落胆している状態なのだ。
スタジアムには、ストレスの発散ではなく、ストレスを溜め込みに行ってるようなものなのである。

<音楽、終了>

思うにどのクラブのファンも、サッカーが華麗なものではないことを知っているのではないだろうか。
たとえ、現在、芸術とも称されるバルセロナのサッカーでさえ、ほとんどの攻撃は実を結ばない。
手を使わないというルールのために、ラグビーやバスケットボールと比べたら圧倒的に正確性に欠け、ミスがあって当たり前の競技。
自然環境やジャッジに左右され、かなりの局面が思ったようにはいかない。
場合によっては、最初から最後まで何一つうまくいかないで終わることもある。
そして、これほど勝敗がつかないで終わる競技もほかにはない。
勝敗がつかずに、グズグズとしたやり切れないムードのままスタジアムをあとにすることも何度もある。
むしろ弱小クラブのほうが、ビッグクラブと対戦するときははじめから引き分け狙いだから、スコアレスドローなんかで終われたら万々歳なので、ドローでの喜びは大きい。

もちろんチームが勝っていれば多くは許される。
だが、僕が最初に見たころのアーセナルは、エリザベス2世戴冠式のあった1952年以来、一度も優勝していなかったのだ。
チームは試合をやるたびに、ファンの心の傷にただただ塩をなすりつけていた。
それでも選手はなんとかしようと走り回り、みじめな失敗を何度も何度もくり返す。
ファンは試合を見ることさえイヤそうに、そっぽを向く。
まるで、冷え切った夫婦関係と同じだった。
由緒ある美しいアールデコのスタンドや、ジェイコブ・エプスタインの彫刻で飾られたスタジアムでさえ、ファン同様、チームの惨状を非難しているように感じられた。
最悪のエンタテイメント……

そのころまでに、大衆向けエンタテイメントはいくつか体験していた。
映画や演劇、コンサート……どれもが訪れた観客は、各催しを「楽しみ」に来ていた。
当然のことながら、激怒や絶望やフラストレーションで顔をゆがめる人などいない。
だが、スタジアムで、ハイベリーで見るサッカーはちがった。
テレビで見ていたサッカーともちがった。
どういえばいいのだろう?

苦痛としての娯楽……

それは僕にとって、まさに新しいもので、これこそまさに待ち望んでいたものだと感じた。
「恋愛」と同じように、障害があればあるほど、相手に対する気持ちは燃え上がる。
そして、誰も消せないほどの炎となって、人生の大部分を焼き尽くすまでおさまる見込みは立たない……
むろん、当時8歳の子供に、こんな分析や理解ができたわけではない。
あとになって、こういうことだったんだ、と自分なりに考えたことだ。

すべてはあの午後に始まった。
それもいきなり。
あのとき行ったのがハイベリーじゃなくて、ホワイト・ハート・レインスタンフォード・ブリッジだったとしても、結果は同じだっただろう。
あまりに圧倒的な体験だったのだ──

<音楽>:「Faling Love with Football」part 4
<音楽、BGMへ>

ハイベリーから帰ると、僕は熱病に冒されたように「アーセナルアーセナルアーセナル」と低い声でくり返し、眉間にシワを寄せ、ことあるたびにFour Letter Wordsを口にするようになった。
母から苦情を言われたのか、とにかく避けがたい事態になりつつあることを悟った父は、なんとか僕がハイベリーの住人になることに歯止めをかけようと、今度はスパーズの試合に連れていった。
スパーズがサンダーランド相手に、ジミー・グリーヴズの4点を含む5-1で快勝した試合だ。
だがすでに手遅れだった。
スパーズから見て楽観的でのん気なこの試合は、僕を感動させることはなかった。
僕を感動させ虜にしたのは、大量得点で勝利を得たチームではなく、わずか1本のPK、しかもそのリバウンドを押し込んだ1点でどうにか勝ったチームと、そのファンたちだったのだから。
そして、すでに僕はアーセナルと恋に落ちていた──

<音楽、終了>

年が明けると、僕とアーセナルを引き裂くような事態が発生した。
母が、僕と妹を連れて日本へ帰国する、と言うのである。
当時のロンドンは、日本人の母子家庭が住みやすい環境では決してなかった。
イギリス人はとてもポライトな人たちだと思うが、同時に物事をはっきり区別できる国民でもあり、それが外国人には差別と感じられてしまうのだ。
いずれにしろ、母は働かなければならなかったし、実家のある日本で暮らしたほうがいいと判断。
父もそれを阻むことはできなかった。
もちろん、僕と妹も従わないわけには行かない。
父が去った今、母を守るのは自分の役目である、くらいの決意は僕にもあったのだ。
どんな場合でも、男の子は母親に涙など流させちゃいけない。
だが、このときを境に、二度と家族全員が顔を合わせることができないなんて、僕には想像することすらできなかった──

<音楽>:「Dad」
<音楽、BGMへ>

現在と違って、当時はロンドンと東京を頻繁に往復するなんてことは、あり得なかった。
一度ロンドンから東京に来てしまったら、それはそれ以降東京に暮らし続けることを意味した。
そして──実際、父ともう一度顔を合わせることができたのは、僕だけだった。
母も妹も、このときヒースローまで見送りに来た父との別れが今生の別れ。
三人とも、もう顔を合わせることができないなんて思ってもいないから、それはそれは無感動な別れのシーンだった。
ハグもなければ、握手すら記憶にない。
「じゃあな」
「うん」
それだけ。
それでも僕が父と再会できたのは、二十歳(はたち)のとき、僕がロンドンへの留学を希望したからだ。
新しい奥さんとの間に子供のいなかった父が、住むところを提供してくれることになった。
ようやく訪れた父との男同士の交流。
だが、そのときすでに父はがんに冒されていた……

<音楽>

まだクリスマス前……母と妹が日本から到着したときには、父はもう意識混濁。
さよならを告げることもできず、神の元へ召された。
ようやく一緒にパブへ行けるようになったのに……ディナーをしながらオトナの会話もできるようになったのに……まだ若かった父は、あっという間に体全体をがん細胞に攻撃され、ほんとにあっけなく敗北した。
アーセナルが、ここ一番っていう大事な試合で負けるときとそっくり。
惜しくもなんともない……ブーイングすらする気になれない……
でも、パパ、もっといろいろ話したかったよ……

<音楽、終了>
すぐに、<音楽>:「Life With Arsenal」ending theme

時を戻して──1969年。
僕は、アーセナルへの思いを引きずりながら日本へやってきた。
日本の小学校へ編入し、再びハイベリーへ戻れることを夢見ながら、日本人として生きることになった──
当時の日本で、アーセナルへの思いを満たすことは至難の業である。
当然のことながら、スタジアムへは行かれない、TV中継はない、情報すらない。
毎年、誕生日に父が送ってくれるユニフォームだけが、アーセナル・ファンの証だった。
1970年代。
日本でアーセナル・ファンを続けるには、今では想像もつかないほどの努力、精神力、忍耐力が必要だったのだ。
だが、それも頑張ればなんとかなる。
それ以上に日本人として生きるのは、僕にとっていろいろと大変なことだらけだった。
だけど、続きは、また次の機会に。

<音楽、終了>

                                                                                                                                                                                                                                                                  • -

[以上]
鈴木勝秀(suzukatz.)

SERIE A: ACミラン vs インテル (121008)

0-1 [0-1, 0-0] サムエル

チームの世代交代を目指しているのか、FFP(ファイナンシャル・フェアプレイ)を意識したのか、単なる財政難なのか、両チームとも夏のマーケットでは、高額選手を売るばかりで、サポーターが納得するような補強は行われなかった。
だが、少なくともインテルは、ストラマッチョーニの使いやすい選手とバランスを考えてのチーム編成が行われたので、チームは機能している。
皮肉にもスナイデルの負傷によって、カンビアッソが明らかなチームリーダーとなったことが、チームにまとまりを与えている。
現在、インテルは3バックを採用しているが、ディフェンスはうまくいっている。
ハンダノヴィッチは、予想通り危なげないゴールキーピングで、ジュリオの穴を感じさせない。
そして、ラノッキアに自信を取り戻させたのは、ストラマの一番の功績である。
シルベストレが少々フィットできていないが、センターバックが余っている現在のインテルに、3バックは向いている。
しかし、何よりも見ていてストレスを感じないのは、中盤に運動量が戻ってきたことである。
カンビアッソを中心に、長友、ガルガノペレイラ、オビ、と戦術に忠実でしっかり走れる選手を交代で使えるのは大きい。
もちろんサネッティは今年も健在である。
グアリンヤヤ・トゥレのような選手に育つことを夢見て、今はあまり多くを求めない。
かわりに攻撃には問題が多い。
中盤も攻撃の部分では、違いを生み出すことができる選手が不在である。
インテルミランの間でカッサーノパッツィーニを交換したのは、これまでのところインテルに有利に働いているが、カッサーノの個人技頼みでは、シーズンは乗り切れない。
ほとんどの場面でミリートが孤立することが、深刻な問題である。
いずれケガが完治すれば、パラシオがミリートの負担を軽減できるようになるとは思うが、ミリートは元々一人でどうにかするタイプのストライカーではない。
ミリートがゴールを量産するには三冠時のエトーのようなパートナーが必要なのだ。
そこで、コウチーニョの成長が期待される。
個人的に、現役選手の中でインテルに一番ほしい選手は、マンCのシルバである。
コウチーニョにシルバのようなプレーを期待するのは酷か?
また、リッキーをストライカーに転向させることはできないのだろうか?とも思う。
ゴールに近いところでプレーさせたら生きるかも。
少なくともサイドアタッカーではないのは明らかなのだから。
なんだか惜しい。
だが、惜しい選手は昔から掃いて捨てるほどいたわけで、特に期待せず覚醒することを願う。
一方、ズラタンチアゴ・シウバを売り払って、代わりの補強ゼロのミランは、まさに苦況に立たされている。
モントリーヴォにゲームメイクを期待しているのだろうが、ボアテンクとの相性が良いとは言えず、ミドルシュートをくり返すばかり。
ディフェンス・リーダーがメクサスというのも、これまでのマルディーニネスタチアゴ・シウバと比べると(比べるな!)、百万倍見劣りする。
しかも、アッレグリは戦術を徹底させることにも成功していないので、ミランとは思えないような連携ミスが多発。
今シーズン中にミランが復活するとは到底思えない。
ボーヤン軸で攻撃を考えなきゃならないところには同情するが、そこを何とかすることが監督の仕事であって、単に優勝当時の戦術を押し付けても意味がない。
選手が変われば、戦術も変えるべきだ。
アッレグリ自身が混乱しているのだろう。
その点、ストラマの柔軟性は評価できる。
ガスペリーニの失敗は、戦術にこだわって、チームの信頼を得られなかったことに尽きると思う。
実際、今3バックが機能してるわけだし。
いろいろ見方はあると思うが、後半すぐに長友退場で10人になったが、はっきり言ってこの試合は負ける気がしなかった。
インテルがさらに得点することも考えづらかったが、それ以上にミランは混乱していた。
ストラマにはツキがあるようで、いろいろなことがなんだかうまく転がっている。
少なくともインテルが自信を取り戻しているのは間違いないので、このまま勢いに乗れることを願う。
やはりCLを戦えないのはツラい。

UEFA CHAMPIONS LEAGUE Final:バイエルン vs チェルシー

1-1 [ 0-0, 1-1, 0-0, 0-0, 3-4 (PK) ] ミュラードログバ
バイエルンは、ブンデスドルトムントに8ポイントの大差をつけられての2位。
対するチェルシーは、FAカップはどうにか取ったものの、プレミアではかろうじてEL圏内の6位。
その両者がヨーロッパチャンピオンの座を争うのだから、例年に比べて少々テンションは下がる。
おまけに、どちらのクラブも個人的には好きなわけではないのでとても困る。
スポーツはどちらかに肩入れして見てこそ面白いのだ。
ただ競技が好き、というのでは、なかなか感情移入して盛り上がることは難しい。
無理矢理でもどちらかを応援するのがいい。
というわけで、どちらかを応援しようと思って、いろいろ考えてみる。
まず好きな選手は、バイエルンよりもチェルシーのほうに多い。
ドログバ、ツェフの二人は、チームに関係なく大ファンだし、ランパードはジェラードがいなければイングランドで一番のゲームメーカーだと思っているし、マタの渋味も捨てがたい。
だが同時に、嫌いな選手も多いのだ。
キャプテン・テリーをはじめ、カルー、マルダ、ミケルは大嫌いだし、裏切り者トーレスアシュリー・コール、文句言いダヴィ・ルイ......応援する気にまったくなれない。
一方バイエルンはと言うと、とにかくベッケンバウアー時代から、一番嫌いなチームであったと言っても過言でない。
大のギュンター・ネッツアー・ファンなので、ボルシアMG贔屓であって、バイエルンは子供の頃からずっと仇敵なのだ。
監督で決めるのも難しい。
戦術的には、イタリアサッカーをするチェルシーのディ・マティオ(歌舞伎顔)だが、バイエルンハインケスボルシアMGのスーパースターの一人。
バイエルンやレアルの監督で成功を収めているが、子供の頃の思い出はなかなか消せない。
希望を言えばどちらにも負けてほしいのだが、じゃあレアルとバルサの決勝でよかったのかと言われれば、それだけは絶対阻止してほしかったので、この2チームでの決勝はある意味望んだ結果であったのだ。
それに、スペインの2強を倒した功績は十分に賞賛に値するわけで......う〜ん、困った。
とか悩んでいるあいだにキックオフ。
すると、パッと見た目には、リバプールチェルシーが戦っているように見えるではないか。
なので、とりあえずバイエルン・サイドで見ることにした。
予想通りに歌舞伎チェルシーカテナチオで、バイエルンの攻めをひたすら守り抜く戦術。
前半は、バイエルンがボール支配率もシュート数も完全に上回るが、マリオ・ゴメスが決め切れない。
サッカーのスタイルとしては、やはりチェルシーの方が好きなので、気持ちは次第にチェルシー応援に傾く。
後半も展開は大して変わらず1点勝負に。
先に決めたのは、攻め続けたバイエルン
ここ一番に強い、ミュラーが左からのクロスに頭で合わせた。
時間は83分。
ディ・マティオは遅過ぎるとは思ったが、カルーに代えてトーレスを投入。
直後に、ハインケスは得点したミュラーを下げ、 ディフェンダーヴァン・ブイテンを投入し、1点を守り切るメッセージを送る。
一瞬、試合は決まったかと思った。
ほとんどボールデッドがないクリーンな試合だったので、ロスタイムをいれても10分もない。
スタジアムはバイエルンのホームだし、最近のドイツサッカーの隆盛を考えると、バイエルンの優勝でもいいのかな、との考えが頭を過った次の瞬間、ドログバがやった。
う〜ん、凄いストライカーである。
そのまま延長に突入し、どちらも決め切れずにPK戦
PK戦でドイツが負けたのを見たことがなかったので、2008年に続いてまたチェルシーは涙を飲むのかと思ったのだが、ツェフとドログバがそれを覆した。
かなりドラマティックな展開でのチェルシーの優勝だった。
だが、どっちつかずの気持ちで見ていたので、面白い試合ではあったが、今ひとつ興奮できなかった。
やっぱりインテルが蘇ってくれないことには、チャンピオンズリーグも盛り上がれないってことを再認識した次第。
来シーズンは、CLよりELに燃えることになるだろう。

SERIE A:Inter vs Cesena

2-1 [0-0, 2-1] Obi, Zarate / Ceccarelli
過密スケジュールに備えミリート温存。パッツォの1トップでスタートしたが、期待に応えられず。中盤はかなり意思の統一がされてきたので、ストラマはちゃんとトレーニングで成果をあげていることをうかがわせる。だが、ルシオの上がりは抑えきれていないので、ベテランへの指示が徹底しているかどうかは疑いの余地あり。残り3試合全勝すれば、来年のCL予備予選出場権を手にできるかもしれない、という状況になってきた。だが、今シーズンのインテルはCLに相応しいとは思えない。なんとかELに出場して、もう一度チームを作り直すのがよいのではないか。インテリスタは46年もCL優勝を待てたのだ。この先数年、試行錯誤があっても次世代のチームが生み出される方がうれしい。サネッティでさえ、徐々にベンチを温めるようになってもらわなくては、チームは成長しない。

UEFA CHAMPIONS LEAGUE:マルセイユ vs インテル

suzukatz2012-02-23

1-0 [0-0, 1-0] A. Ayew
ほとんどのインテリスタは、この敗戦をある程度覚悟していたのではないか?
それくらい今のインテルは最悪のスパイラルに嵌っている。
選手がそれぞれ口にするように、コンディションもコンビネーションもラニエリとの関係も悪くはないのだろう。
だが、試合が始まると決定的チャンスをことごとく外し、毎度おなじみのしょぼいカウンターかしょぼいセットプレーで失点する。
あえて犯人探しをすれば、攻撃ならばシュートを外したFW、守備なら最後に競り負けたり抜かれたDFということになる。
だが、サネッティカンビアッソや長友のようなファンの支持のある選手は見逃され、キヴやサラテのような選手が槍玉に上がる。
個人的には、こんな状況を打開できるのは、監督以外にないと考える。
こういうときこそ、監督が力を発揮するべきなのだ。
こういうときのために監督は必要なのである。
毎日の練習や戦術ミーティングは、コーチでも十分できる。
だが、何が原因なのかが特定しづらいこういうチームのメンタルに関わると思われる状況は、監督以外に変えることができない。
その意味で、個人的には、ラニエリは力不足だと感じる。
ラニエリにはカリスマ性が欠如しているのだ。
モウリーニョとはタイプが違うことは認めるし、それは欠点でも何でもない。
敗戦においても選手を責めず、自分で責任を取ろうとする態度は、監督として素晴らしい。
同じようなタイプの最高峰にデル・ボスケがいる。
デル・ボスケが最初にレアル・マドリーの監督になったのは、今回のインテルにおけるラニエリととても似た状況のときだった。
そして、デル・ボスケはリーガを捨て、CLを勝ち取った。
インテリスタは、モウリーニョラニエリの違いを考えるより、デル・ボスケラニエリの違いを考えるべきなのだ。